ブーリン家の姉妹
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時代背景<ブーリン家の姉妹

時代背景

ブーリン家の姉妹」の題材にもなっている年代について調べてみました。

16世紀は西暦1501年から西暦1600年までに100年間の事です。日本ではこの時、室町、安土桃山時代です。そう考えると、海外の発展振りが良く分かりますね。

ヨーロッパではルネサンスと宗教改革により、中世的な世界観に変わったそうです。ここの改革で、近世的な新しい世界観が生まれ、アジア各国で新たな繁栄の時代となり、国内政治が充実して経済も発展したそう。新大陸、日本から流れてきた銀が世界的なバブル経済をおこし、西欧や、アジアの経済が急速に拡大しました。
王族間においては、政略結婚が常識であった時代。
劇作家、ウィリアム・シェイクスピアが活躍した年でもあり、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロー」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」など、現在でも語り継がれる多くの傑作が生まれた世紀でもあります。

16世紀のできごと

16世紀に起こった主なできごとを時代の流れに沿ってまとめてみました。

1510年 レオ10世が教皇になる。
1517年 マルティン・ルターが「95ヶ条の論題」を示す。(宗教改革の発端)
1520年 オスマン帝国でスレイマン1世即位。オスマン帝国の全盛期。
デンマークによるストックホルム血浴。
1521年 ルター、ヴォルムス国会でカトリック教会との決別を宣言。ヴァルトブルク城にかくまわれ、新約聖書のドイツ語翻訳をすすめる。
1522年 ドイツ騎士戦争
1523年 スウェーデン、カルマル同盟を脱し、独立(ヴァーサ朝、〜1654年)。国王はグスタフ1世。
1529年 神聖ローマ帝国の首都ウイーンがオスマン帝国に包囲される(第一次ウィーン包囲)
1534年 ローマ教皇クレメンス7世がイングランド王ヘンリー8世を破門。
イギリス国教会がカトリック教会から分離。
イグナチオ・ロヨラらイエズス会を結成。
1536年 イングランドヘンリー8世がウェールズを併合。
カルヴァンの宗教改革。
1540年 イエズス会、ローマ教皇パウルス3世より正式に修道会として認可される。
1543年 ニコラウス・コペルニクスが地動説、太陽中心説を発表。
1547年 イングランド、スコットランドを攻撃して破る。
1555年 アウグスブルクの和議。ルター派信仰認められる。
1558年 エリザベス1世、イングランド女王に即位。
リヴォニア戦争、〜1583年。ポーランド・スウェーデンとロシア帝国(モスクワ大公国)との戦争。
1559年 イングランドとフランス、講和を結ぶ(カトー・カンブレジ条約)。
1587年 エリザベス1世、スコットランド女王メアリ・スチュアートを自身への暗殺未遂容疑で処刑。

人物紹介

ブーリン家の姉妹」に出てくる人物をまとめてみました。映画の内容とは違う部分もありますが、歴史を知った上で見るとまた違う面白さがあります。調べているうちに、周りに登場する人物にも興味が沸いてきますね!

アン・ブーリン
イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃、エリザベス1世の生母。金髪で美人と言われていた妹のメアリーに比べて、アンは濃い茶色の髪で、不美人。気が強く、意思が強固で策略家とも言われています。

幼少期はマルグリッド・ドートリッシュの私設学校で教育を受け、フランス宮廷に戻ります。
ヘンリー8世の最初の王妃のキャサリン・オブ・アラゴンの侍女となりますが、ヘンリー8世に見初められ求婚。
ヘンリー8世とキャサリンとの間には王女メアリーしかいなく、王位継承者を切望していたヘンリー8世は離婚。
1533年、アンは第2王女エリザベスを出産。王子誕生を望んでいたヘンリー8世は、王女誕生に落胆するも、まだ可能性もあるとしてエリザベスを可愛がります。
アンは前王妃の産んだメアリー王女の代わりにエリザベスに王位継承を与えるように国王に求め、成功しました。しかし、その一方でヘンリー8世は次の王妃ジェーン・シーモアへと心移りし、次第にアンへの愛情は薄れていきます。

1536年、アンは男児を早産。結婚から2年後、国王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われます。その結果、反逆、姦通、近親相姦及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられました。
5人の男と姦通したとされていましたが、そのうちの1人は実の兄弟だったそうです。

メアリー・ブーリン
アン・ブーリン王妃の姉妹。どちらが姉でどちらが妹かは明らかではないそうですが、彼女の子供はメアリーが姉であると信じていたそう。(映画の中ではメアリーが妹、アンが姉という事になっています。)
金髪の美人で、気の強い性格だったアンに対してメアリーは気が弱く、控えめな性格と言われています。
メアリーはヘンリー8世の愛人のひとりであり、彼のライバルフランソワ1世の愛人でもあったと伝えらており、彼女は二度結婚しています。

子孫には、ウィンストン・チャーチル、P・G・ウッドハウス、エリザベス王太后、ダイアナ妃、セーラ妃、チャールズ・ダーウィンなどの多くの有名人がいるそう。

ヘンリー8世
ヘンリー7世とエリザベス王妃の次男として誕生。兄弟には、兄アーサー(プリンス・オブ・ウェールズ)、姉マーガレット、妹メアリー。1493年にドーヴァー城の城主、五港長官に任命されます。
ヘンリーはイングランド王室史上最高のインテリと言われ、ラテン語、スペイン語、フランス語を理解し、舞踏、馬上槍試合などスポーツでも優れた才能を発揮していたようで、音楽にも造詣が深く、ヘンリー8世作曲とされる楽譜が現存しているなど、文化史にもその名を残しています。
父の死により、1509年にヘンリー8世として即位。その2ヵ月後にキャサリン・オブ・アラゴンと結婚。

ヘンリー8世は、ルターの宗教改革を批判する「七秘蹟の擁護」を著し、教皇レオ10世から「信仰の擁護者」の称号を授かるほどの熱心なカトリック信者だったそう。キャサリンとの離婚、およびアン・ブーリンとの再婚をめぐる問題から教皇クレメンス7世と対立し、側近であるトマス・クロムウェルの補佐を受け、1533年には上告禁止法を発布し、イングランドは「帝国」であると宣言します。
妃やトマス・モアをはじめとする側近を次々と離別・処刑し、カトリック修道院の財産を没収するなど苛烈な人物であったが、イングランド王室の権威確立に寄与しました。
1547年、持病であったリューマチ(梅毒とも言われています)が悪化し、息を引き取ります。享年56歳。
ストーリーキャストスタッフ時代背景
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